己について
「〜のために」行うことをやめる
どれほど良いことに見えても、「〜のために」行うことは、
卑しく貧欲なことだ。
誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、
それが失敗したと思えるときには相手、
もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、
うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。
つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。
けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、
「〜のために」という言葉も考えも出てくることはない。